2012年4月23日月曜日

通電治療法の抗うつ効果 ドーパミン受容体が減少−難治性うつ病治療における通電治療法の役割解明へ−:プレス発表:お知らせ:独立行政法人 放射線医学総合研究所


平成21年12月15日
独立行政法人 放射線医学総合研究所

独立行政法人 放射線医学総合研究所 (理事長:米倉 義晴)
分子イメージング研究センター※1
菅野 巖センター長、須原 哲也グループリーダー
西條 朋行研究員(現・日本医科大学精神神経科助教)
日本医科大学(学長: 田尻 孝)精神神経医学教室 大久保 善朗教授
医療法人静和会 浅井病院(理事長:浅井 邦彦)の共同研究

【概要】

陽電子断層撮像 (PET※2) 装置と高性能PETプローブ※3を用いて、難治性うつ病の治療に有効な通電治療法 (ECT※4) が、うつ病患者脳内のドーパミンD2受容体※5を減少させることを明らかにしました。ECTによる脳内神経受容体変化をうつ病患者の生体内で捉えることに成功した世界初の成果です。 今後、ECTがどのようにしてドーパミンD2受容体を減少させうつ病の症状を改善するのか、難治性うつ病の治療法開発や病態解明などへの展開が期待されます。

本研究は、放射線医学総合研究所分子イメージング研究センター分子神経イメージング研究グループ脳病態研究チームと、日本医科大学精神神経科、医療法人静和会浅井病院との共同で行われました。

本成果は、この分野のトップジャーナルである米国臨床精神薬理学会誌『The Journal of Clinical Psychiatry』オンライン版に掲載 (2009年12月15日) されます。

【研究の背景と目的】

通電治療法 (ECT) とドーパミン神経伝達

ECTは、脳に電気刺激を与えて、うつ病などの精神疾患の症状を改善させる治療法です。麻酔薬と筋弛緩剤を使用し、麻酔医による循環管理と呼吸管理の下で行われるため、苦痛なく安全に治療が可能です。この治療法は、抗うつ薬による薬物治療では効果が不十分な難治性うつ病に対して、最も効果的な治療の一つと考えられています。抗うつ薬は、口渇、めまい、尿閉などの副作用が出やすいのに対し、ECTは特に高齢者に対して副作用が少なく、より確実に抗うつ効果が期待できます。しかしながら、その優れた抗うつ効果と有用性にも関わらず、どのようにしてうつ病に効くのかに関してはいまだに解明されていません。


スタチン系薬剤&筋肉痛

これまで、うつ病の原因として、脳内の神経伝達物質であるセロトニン※6、ノルアドレナリン※7の機能障害が想定され、抗うつ薬も、この2つの神経系に作用するものが中心でした。一方で、うつ病の主な症状と言われる無快楽や意欲の低下は、ドーパミン神経が関連する「快の感覚」を与える神経系(報酬系)※8に障害が起きることによって生じる可能性のあることが報告されています。そのため、薬物治療に抵抗性を持つ症例にECTが高い抗うつ効果をもつのは、報酬系ドーパミン神経伝達機能を変化させているからではないかと考えることができます。実際に、ラットなどの動物レベルにおいては、ECT後のドーパミン放出の増加、ドーパミン関連行動の増加などの報告がなされています。しかしながら、ヒト生体内でのドーパミン神経伝達機能の変化に関する検討は、これまでほとんど行われていません。

PETによるドーパミンD2受容体測定

PETを用いた分子イメージング研究は、こうした脳内の神経伝達機能の変化を調べるために有効です。ドーパミンD2受容体に結合するようなPETプローブを用いることで、生きたヒトの脳内でドーパミン神経伝達機能の変化を計測することができます。しかし、脳内で広範囲にわたって分布するドーパミンD2受容体のうち、報酬系に関連する部位とされる大脳辺縁系※9や大脳皮質※10に存在するものの占める割合はごくわずかであり、その測定は容易ではありません。

本研究が行われた放射線医学総合研究所 (放医研) は、放射性薬剤製造・合成分野を牽引してきた世界トップクラスの研究機関であり、種類・量ともに多様なPETプローブを一日に複数回、しかも人体に投与しても安全な品質を維持しながら提供できる設備と技術を構築してきました。さらに、放医研の放射性薬剤は性能がよく、脳の神経受容体や神経伝達物質の変化を鋭敏に捉えることが可能です。

西條らの研究チームは、ECTの適応となったうつ病患者の脳内ドーパミンD2受容体の変化をECTの施術前後で測定し、ECTがなぜうつ病治療に効果を発揮するかについて科学的解明を試みました。放医研の高比放射能 (高性能化) 技術によって標識した [11C]FLB 457※11というPETプローブによって大脳辺縁系や大脳皮質に分布するドーパミンD2受容体の数を測定しました。


HIV感染によって引き起こされる皮膚の発疹

【研究手法と結果】

うつ病と診断され、抗うつ薬による薬物療法が効かずにECTの適応となった7名(平均年齢43歳、男性5名、女性2名)を対象としました。ECTは日本医科大学付属病院と医療法人静和会浅井病院において、症状が改善するまで、週2-3回の間隔で合計6-7回施行しました。ドーパミンD2受容体用リガンド※12 [11C]FLB 457 を用いてECT施術前後にPET検査を行い、ドーパミンD2受容体の量 (結合能) を測定しました。ECT前後でのドーパミンD2受容体の量を比較することにより、ECT後には大脳皮質の一部の右前部帯状回※13という部位でドーパミンD2受容体が平均で25.2%減少していることが分かりました(図A、B) 。

【本研究の成果と今後の展開】

本研究では、うつ病の患者の前頭葉の一部である前部帯状回のドーパミンD2受容体がECT施術後に減少することを治療した患者さんで確かめることができました。ドーパミンD2受容体は、神経からでるドーパミンの量が急に増えたとき、ドーパミンの受け手である受容体が急な信号の増加をなだらかにしようと次第に減少します(ダウンレギュレーション※14)。ECTにより受け手の数が減ったことは間接的に神経から出るドーパミンの量が増えたことを意味します (図C)。また、前部帯状回は、報酬系に関連したドーパミン神経が豊富に存在する部位です (図D)。つまり、ECTは報酬系に関連したドーパミン神経を活性化することで、うつ病の中核症状である無快楽や意欲低下を緩和し、症状を改善させている可能性が示されたことになります。この成果は、動物レベルで既に報告されていたECTによる脳内ドーパミン神経受容体の変化をうつ病患者の生体内で明らかにした世界初の事例です。高い治療効果があるにも関わらず、ECTがどのようにしてうつ病に効くのか科学的に説明されていなかった部分の一端を明らかにした大きな一歩だと考えています。

また、この成果は、難治性うつ病の治療薬開発に新しい方向性を提示するものです。既存の抗うつ薬は、主にセロトニン神経系やノルアドレナリン神経系の調節をしますが、その服薬では効果を示さない難治性うつ病に対してもECTは有効です。ECTがドーパミン神経系へ作用するというこの知見は、既存の抗うつ薬とは方向性の異なる、ドーパミン神経系の調節をする薬物の開発・投与を支持するものと考えています。

今後は、他の受容体についても同様の検討を行うことで、より詳細にECTの作用機序解明に迫ることができ、難治性うつ病の病態解明、治療薬開発に貢献することが期待されます。


(用語解説)

※1) 分子イメージング


うつ病の耳のステープル

生体内で起こるさまざまな生命現象を外部から分子レベルで捉えて画像化することであり、生命の統合的理解を深める新しいライフサイエンス研究分野。体の中の現象を、分子レベルで、しかも対象が生きたままの状態で調べることができる。がん細胞のふるまいや、アルツハイマー病や統合失調症、うつ病といった脳の病気、「こころの病」を解明し、治療法を確立するための手段として期待されている。放射線医学総合研究所分子イメージング研究センターは、文部科学省委託事業分子イメージング研究プログラムのPET疾患診断研究拠点として研究活動を行っている。

※2) 陽電子断層撮像法 (positron emission tomography : PET)

レントゲン、CTやMRIと同じ画像診断法の一種で、がんの診断などに用いられる。陽電子を放出する核種で標識した薬剤を注射し、体内から出てくる信号を体の外で捉え、コンピュータ処理によって画像化する技術。

※3) PETプローブ

陽電子断層撮像(PET)装置を用いての、腫瘍や精神・神経疾患の診断・検査等で用いる放射性薬剤。測定したい機能の種類に応じて適切な放射性薬剤を選択するが、本研究では[11C]FLB457を用いている。

※4) 通電治療法療法 (electroconvulsive therapy : ECT)

こめかみ (両側前頭部あるいは側頭部)に貼り付けた通電用電極から20〜504ミリクーロンの電気 (心臓が停止した時に使うAED (自動体外式除細動器) の電気量の10分の1程度) を加えることで脳内にてんかん発作と同じような電気的変化を起こさせる治療法。麻酔薬と筋弛緩剤を投与し、麻酔医による循環管理と呼吸管理の下、電気刺激を加えるため、患者は苦痛なく安全に治療を受けることができる。治療中はモニターをつけ、脳波を確認する。実際の通電時間は1〜8秒で、全体の治療時間も麻酔の準備を含めて30分程度である。1週間に2〜3回、計10回程度実施することで、薬物に反応しない、うつ病、双極性障害、統合失調症などの精神疾患に効果を発揮する。2002年に認可されたパルス波治療器 (従来のサイン波治療器を用いたECTに比べてより少ない電気量で治療が行われ、健忘などの副作用が出にくい) の導入により、高齢者にも安全に使用できる治療法として、その適応がさらに拡大している。

※5) ドーパミンとドーパミンD2受容体

中枢神経系に存在する神経伝達物質で、運動調節・認知機能・ホルモン調節・感情・意欲・学習などに関わると言われている。ドーパミンは脳内の線条体と呼ばれる部位において多く認められている。ドーパミンと結合する神経受容体、ドーパミン受容体のサブタイプの一つ。

※6) セロトニン


セロトニンは中枢神経系に存在する神経伝達物質で、睡眠調節、体温調節、気分、食欲、性欲などに関わると言われている。

※7) ノルアドレナリン

中枢神経系に存在する神経伝達物質で、不安、意欲、恐怖、覚醒などに関わると言われている。一部の抗うつ薬はノルアドレナリン系に作用する。

※8) 報酬系

ヒト・動物の脳において、欲求が満たされたとき、あるいは満たされることが分かったときに活性化し、その個体に快の感覚を与える神経系のこと。哺乳類の場合、報酬系は中脳の腹側被蓋野と呼ばれる部位から大脳皮質に投射するドーパミン神経系であると言われている。

※9) 大脳辺縁系

人間の脳で情動の表出、意欲、そして記憶や自律神経活動に関与している複数の構造物の総称。大脳半球の深部にあり、海馬、扁桃体、帯状回などを含む。

※10) 大脳皮質

大脳の表面に広がる神経細胞の灰白質の層。大脳基底核と呼ばれる灰白質の周りを覆っている。知覚、随意運動、思考、推理、記憶など、脳の高次機能を司る。

※11) [11C]FLB457

ドーパミンD2受容体用PETプローブのひとつ。高親和性リガンド FLB457のC-11標識体で、ドーパミンD2受容体に結合する。主に、統合失調症等の精神神経疾患診断に有用である。従来のドーパミンD2受容体用PETプローブでは測定できなかった線条体以外の領域のドーパミンD2受容体の測定に適用可能という特長がある。

※12) リガンド

特定の受容体に特異的に結合する物質のこと。例えば、神経伝達物質のシグナル物質とその受容体などがある。

※13) 前部帯状回

帯状回は大脳皮質の一部でその前部は前頭葉内側の一部をなす。注意機能といった認知機能や大脳辺縁系の一部として情動反応にも関わる。また痛みや葛藤の処理にも関わっている。

※14) ダウンレギュレーション

神経伝達物質による受容体の刺激が過剰あるいは連続的に行われる際に、生体が受容体の数を減らして適応すること。

(問い合わせ先)

独立行政法人 放射線医学総合研究所
企画部 広報課



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